生きにくい、生きるの向いてない、生きていたくないを打破する

とにかくつらい毎日だけど、生きなくちゃならないなら、生きやすい毎日にしたい。どん底から這い上がるため色々なことに挑戦していきます。

音楽が聴けるってすごい回復だと思う

最近、itunesをよく起動している。

追加曲順で並べると、精神的に極限に病んでいた期間が良くわかる。

その期間は全く新しい曲を入れてなかった。

うつ状態になると、それまで良いと思っていた音楽も映画も本も何も面白く感じなくなるとうつヌケで読んだけど、まさにそんな感じだった。

新しい情報を収集するなんて出来なくて、あんなに好きだった音楽も全然聴かなくなって、なにせ「楽しい」とか「感動する」ということがなかった。

受け入れる器官が壊れていたんだろう。情動というのかな。

そういうのが、精神が傷つくと働かなくなるようだ。

 

今は音楽を聴いて感動することが出来るから、きっとすごく私は回復してる。

一歩進んだ証明がitunesの曲一覧の追加日に刻まれているような気がしてとても嬉しい。

考えれば考えるほど不幸になるから、考えるのを止める

生きづらいと感じながら生きてきて、もう何年になるかわからない。

けど、人生のほとんどの時間を生きづらいと思いながら過ごしてきたとは言え、24時間365日余すことなく苦しんでいるか、というと、多分そうではない。

「楽しい」「楽だ」「好きだ」と思う瞬間は確かにある。

例え一瞬でも、そういう瞬間が全く無かったら、多分とっくに死んでいただろう。

 

死ねないのなら、生きていくしかないと決断したのなら、そういう楽しい瞬間ばかり感じていたい。

一瞬感じる程度じゃなくて、「楽しい時間」として生活の中に取り入れたい。

毎日毎日、そういう楽しい気持ちを積み重ねることが出来たなら、生きづらいと思うことも少なくなるんじゃないだろうか。

 

そもそも、自分が生きづらいなと感じてる時って、楽しくないことばかりを考えている。

嫌なこと、恥ずかしいこと、自分のこと、嫌いな人のこと、不安な未来のこと、消したい過去のこと、よく見えもしないのに心に容赦なくプレッシャーをかけてくる「世間」とか「常識」とかいうもの

こんなこともう考えたくない。考えれば考えるだけ、自分で不幸を生み出してしまう。

不幸とか生きづらさとかって、きっと自家中毒みたいなものなんだろう。

考えるのを止めればいいだけ。

 

でもどうやったらそういうの考えなくて済むようになるんだろう?

答えはわかってて、好きなことばっかりすればいいんだ。好きなことだけを考えていればいい。

わかってはいても、気が付くと嫌なことを考える自分がいる。

とにかく好きなことを行動に移せば、嫌なことを考えるのをストップ出来るかもしれない。

そう思いつつ、その行動に移す、ということがなかなか現実では難しい。

 

今後はこの課題をどうやってクリアするか、それを思いながら生きたい。

精神的不調の要因にピルは関係あるのか

一昨年の12月から今年の9月の間、およそ10か月ほどピルを飲んでいた。

避妊のためじゃなくて、あまりにもニキビが酷かったから、という理由で。

 

元々18歳くらいの時に生理不順を治す為に飲み始めた低容量ピル。その時はあまり意識してなかったけど、ピルを飲んでいる期間は肌の不調に悩むことがあまり無かった。でも結婚してピルを飲むのを止めてから、膿の溜まったニキビがいくつもいくつも湧いてきて肌はブツブツになった。

病院にも行ったし生活習慣も見直したし、ニキビ肌に良いと思われることは可能な限り挑戦したけど、根本的に肌状況が改善されることはなかった。

 

そんな状態が4年くらい続いてから、私は再びピルを飲み始めた。

結果として、あんなに悩んでいたのがウソのように、私のニキビは消え去った。

 

ピルさえ飲んでいたら、何を食べても、体力や免疫が落ちても、生活リズムがちょっと崩れても、化粧品を変えても、全然ニキビは出来なくなった。

あんなに苦しんでた4年はなんだったんだろう、と思うほど呆気なく、私はニキビを完治させることが出来た。どうしても治らないニキビで苦しんでいる女性がいたら、ダメ元でピルを試してみてほしい。

 

しかし、わずかに血栓症になるリスクがあるだけで副作用はほぼ無いと言われているピルだけど、精神にもたらす影響が少なからずあるんじゃないかと私は思う。

というのも、この10か月ピルを飲んでいた期間、私の精神状態は今までの人生の中で最高に最低な状態だったから。

もちろん精神状態の悪化は夫婦仲の問題だったり、環境の変化があったりした結果で、ピルを飲んでいた期間がたまたまその精神的不調のタイミングに被ってしまっただけかもしれないけど。

 

何故精神的不調がピルのせいかも?と思ったのかというと、ピルをやめて3か月ほどたった今、私の精神状態がすこぶる健康になったから。

夫婦仲も環境も、何も状況は変わっていないはずなのに、私の精神状態は今とても穏やかだ。

ほんの数か月前までは本気で自殺を考えていて、首を吊るための紐を買ったり、どこだったら死んでも見つからないか地図を見ながら考えるような毎日だったのに。

今では自分の好きなことを頑張ろう、と思える上に実際に行動に移せるようになった。

「頑張ろう」と思うこと自体、心が傷ついて疲れ果てている時には難しい。

まして実際に行動を起こすなんて、相当元気が無ければ出来ないことだ。

私はこの3か月で「毎日死ぬことばかり考えるほど心が不調な状態」から「好きなことを実際にやって、それを面白いと思える健康的な心理状態」に、一気に回復した。

その回復のタイミングでやったことが「ピルを飲むのを止めること」以外に思いつかないのだ。

 

もちろんピルによって絶望的な肌の不調を乗り越えることが出来たし、元々悩んでいた生理不順も今では全く無くなった。

ピルによってもたらされた恩恵は私にとってすごく大きいし、飲んでいたことになんの後悔もないし、もし仮にまた何かホルモン系の異常が起こったらピルを飲むのを再開しようと思っている。

ピルは女性にとって、大きくプラスをもたらす存在であると、今でも私は信じている。

でもその一方で、大きなプラスを与えるほどの力は、気づかないうちにマイナス面にも働いていることがあるのかもしれない、と思ってしまう。

 

とりあえず、ピルを止めて数か月たっても肌状態は良好のまま、精神状態も良くなりつつある。

出来ればこの状態が少しでも長く続いてくれたらいいと思う。

人間嫌いがどんどんひどくなってる

元々人間が好きな方じゃなかったけど、ここ数年はさらにひどくなっている。

もう誰とも交流しないで生きていきたい。

人と話していると疲れる。例えそれが一番の親友でも、幼稚園から一緒の幼馴染でも、家族であっても。

話が終わったあとにドッと疲れが来る。

無意識のうちに「疲れた」「帰りたい」という言葉がついて出る。

私の言う「帰りたい」というのは「たった一人の私だけの空間、もしくは時間」に帰りたいという意味であって、家族の元に帰りたいということではない。

 

一人が寂しいと思ったことはない。だから本当は一人でいたいと思う。

でも他人から「つまんない奴だから友達もいなくていつもひとりぼっちのやつ」と思われたくない。

私がひとりなのは私が望んだからであって、誰かとつるむ能力がないわけじゃないと思いたい。

私は面白い人間で、別に誰とでも分け隔てなく仲良くできるけど、ひとりが好きだからひとりでいるだけなんだって、そう思いたい。

 

そんなクソしょうもないことばかり気になって、話したくもない人と頑張って話してめちゃくちゃ疲れるのに、その結果は別に親しくなれないどころか逆に敬遠されたりする。

そりゃそうだと思う。きっと人と話してる時の私はつまんなそうな顔をしてるだろう。だって実際つまんないし。なんでこんな中身の無い無駄な話しなきゃいけないわけ?って話の最初から最後の瞬間まで思いながら話してるし。自分としては気さくな感じで受け答えしてるつもりだけど、多分うまくいってないんだろう。

 

そういう「結局うまくいってない」感じに気付くたびに過剰に傷ついて、余計に疲れて、さらに人間嫌いが加速する。ひとりになる。ひとりと思われたくないから頑張ってまた疲れて傷ついて。そのループを何年も繰り返していれば人間嫌いになって当然だと思う。

他人に興味がないなら無駄に頑張んなきゃいいのに。馬鹿だなあ。

 

でも私の一番近くにいる人間が「他人との交流を上手にやることこそ人生をうまくやるための全て」みたいな感じの人だから、上手く出来ない自分が惨めでしょうがなくなるんだ。

その価値観が全てじゃないってわかってるのに。正解だなんて決まってないのに。

「世間的には」なんて考えてもしょうがなくて、自分の信じるように好きなようにやっていいはずなのに、私はもう自分のこと信じることも出来ないし、好きなこともどんどん好きじゃなくなって夢中になれるものが無くなった。

余計なことなんて何も考えられなくなる位好きなことが欲しい。

そしてその好きなことに命を燃やすほど熱中して、そんな自分を好きになりたい。

 

なんていつも思うけど、毎日が「やるべきこと」に流されて、好きなものをどう見つければいいかもわかんない。

疲れたなあ。

夫に話しかけるのが怖くて、嫌すぎて、考えるだけで胸や腹がムカムカして、うまく呼吸が出来なくなる。

 

普段全然意味のない、他愛のない話をしたりしてる。

でもそれは全て夫から私に話しかけて、それに私が「いつも通りに」「怒られないようなことを」答えることで成立している話だ。

 

いつもと違うことを報告したり、相談したり、相手の意向や意見を聞く、ということが、今の私にとってはあまりにも難しくて、怖くて、嫌で嫌でたまらない。

考えるだけで逃げ出したい。嫌だ。怖い。嫌だ。

 

無視される。

タイミングや話し方を考えろと怒られる。

親から伝えるように言われたことを夫にそのまま話したら、「相手が嫌な気持ちにならないように、お前の段階で話を精査しろ。考えずにただ丸投げするな」と言われる。

一生懸命私が考えたことを、「考えが浅い」「騙されている」と否定される。

 

「終わった話を蒸し返すな」

 

「以前言っていたことと違う」

 

「その話し方で相手に伝わると思うのか」

 

「もっと話を組み立ててから話せ」

 

「話をする前にシミュレーションしろ」

 

 

 

私が今まで言われ続けてきた言葉。

一生懸命私の言いたいことを伝えても、全然思っているように伝わらない。

でもそれは、うまく伝わらないのは私のせい。

私がもっとちゃんと相手のことを観察して考えて喋っていたら良かった。

夫が話を聞ける状態かどうかしっかり見極めてから話さなくてはいけなかった。

冷静に、誰にでも伝わるように、それを言われたらどういう気持ちになるか、想像して喋らないといけなかった。

 

そうやって反省して、自分なりにたくさん、苦しくなるほど考えて喋るのに、いつもいつも否定される。

私の望んだ答えや反応が返ってくることはない。

 

繰り返し、繰り返し否定されて。

私は「夫に話を振ったら傷つく」ということを学習してしまった。

でも夫婦だから、相談したり報告したり話し合わなきゃいけないことなんて山ほどある。

あの人と夫婦でいる限り、この嫌で嫌でしょうがないものと向き合うことから逃げられない。

 

少しでも話し合うことを避けたくて、夫から予定を尋ねられれば全て夫に合わせた。

他の用事が入っていてもそれを断った。

友人や両親や職場は、私が謝れば、いやきっと謝らなくても私に事情があるのだと慮って許してくれる。

でも、夫は許してくれない。

夫の提案に「NO」ということは許されていない。

「何がしたい?」に「何も」と答えることは出来ない。

「何が食べたい?」に「旦那が決めて」と答えることも出来ない。私が言った案は結局採用されないのに。

「今度の休みにあそこに出掛けようと思うんだけど、どう思う?」と聞かれたら「いいね、行こう。楽しみだな」と答えることしか許されてない。

 

こんなの、家族と言えるのだろうか。

 

私はもう、限界で、でもそれを伝えることがもう無理で、無理すぎて、あの人と向き合うくらいなら、あんな、死にたい、自分を殺したい気持ちになるくらいなら、もう

 

あの人と向き合うくらいだったら、死んだ方がましだ。

 

 

漫画「うつヌケ」を読んで

最初の方に出てくる「脳が濁った寒天に包まれているように、頭にもやがかかったような感じ」というのがあまりにも共感出来て衝動買い。

 

私はかなり気分に波があって、平常でいられてる時はいいけど、落ちている時はまさにこの「濁った寒天」状態でした。

仕事しながらも頭にはいつも霞がかかっている感じで、人の話を聞いていてもしっかり理解することが出来ず、同じことを聞いてしまうことがあります。

言葉自体は聞き取れてるけど、それが文章として意味をなしてないというか、「結局自分が何をどうしたらいいのか」という肝心の部分を全く理解できず、聞いたそばからポロポロと言葉が零れ落ちていく感じ…

 

本書の中でも書かれていたうつあるあるの「活字が読めない」という状態になったことは無いので、うつじゃないのかもしれないけど、うつの人たちの事例を読んでて共感できる部分はたくさんありました。

 

ステルスうつなのかもしれないです。

 

でもとりあえずこの1週間くらいは気分が落ちてないから、今のうちにカウンセリングや自助グループなど、「自分を治すために何が出来るのか」ということを考えて調べます。落ちてるとそういう情報収集をすること自体が出来なくなるから。

そしてまた落ちて「濁った寒天」状態になった時は、今度こそ心療内科を受診する覚悟も決めようと思いました。

 

自分を助けるために出来ることは全部しよう。

 

そういう風に思わせてくれる本です。

 

ただ「つらかったね」と言ってもらいたいだけ

一人で抱えるのはあまりにもつらくて、誰かに吐き出したいと思って話すと必ず「どうしたの?」「何があったの?」と言われるけど、それがすごく嫌だ。

 

いや、そう言って当たり前なんですどね。

むしろそうやって聞いてくれるのは一生懸命私のことを知ろうとして、苦しみから解放する手助けをしようとしてくれていることなんだから、喜んで受け入れなきゃいけないんだと思います。

 

でも、「苦しい」「つらい」「生きたくない」「消えたい」と思うに至ったのは今までの人生で起こった出来事や言われた言葉の積み重ねであって、それがぐちゃぐちゃに絡み合って、もうどうすることも出来なくてつらい状態になっているわけで

何か一つ嫌なことがあったからそんな風になったわけじゃない。

 

だから「どうしたの?」って聞かれてもどう言葉にしたらいいのかわからない。

そしてまた言葉に出来ない自分を恥じて、それがますます自分を苦しめる。

 

だから、すごくわがままを言っているのはわかるんだけど、

 

「どうしたの?」じゃなくて、「つらいの?」って聞いてほしい。

 

そうしたら私はただ頷けば済む。

言葉にならなくてひたすら泣いても、それはつらいからなんだな、とわかってもらえたらそれでいい。

さらにわがままを言うなら「つらいね、しんどいね」って言ってもらいながら頭を撫でてほしいと思う。抱きしめて背中をぽんぽんとしてもらえたら、と思う。

 

全然知らない人相手でもいいから、そうして欲しいしそうしてあげたいと思う。

 

そういうサークルとか自助会とかないのかな。

きっと私以外にも同じように思っている人っていっぱいいると思うんだけどな。

 

私のことを知ってる人相手だと、幻滅されたり嫌われたり評価が下がることばかりが気になって、自分を心からさらけ出せない。

だからそういう「傷をさらけ出し合いひたすら認め合う」ことを目的とした新しい友達が欲しい。

 

ああ、変わりたいな。