心から受け入れてもらえるという幸せ
あの人との離婚はまだ成立していない。
なんだかんだと離婚届を書いてもらえない。
あの人は色々と理由をつけて私と2人で会う機会を作ろうとしている。
私に未練があるとか、私のことがまだ好きとか、そういう耳障りの良い理由なんかじゃない。
あの人は、いかに自分が正しく私が間違っているのか証明したいのだ。
そしていかに自分が苦しめられているかを、私を苦しめることで示したいのだろう。
他の誰かがいる場所ではあの人は一方的に私を責めるようなことは言わない。言えないのかもしれない。
だから2人きりで会うことを望む。
そうすれば思う存分私を攻撃して自分の正当性を主張し私を傷つけることが出来るから。
私は今まで、あの人のそういった要求を呑んできた。
あの人を刺激したくなかったから。
私は過去、人に言えないような経験をしてきた。私にはどうしようもないことで、私自身は後悔しているわけではないけれど、父と母が知ったら大きなショックを受けるようなことには間違いなかった。
あの人は、私が言うことを聞かないなら、その秘密を暴露する、と脅してきた。
知られても構わない、この地獄から抜け出せるならと、離婚を決意した。
でも、あの人の口から人を傷つけるような言い方で秘密の暴露をされるのはやはり嫌だと思った。
だから私は、実に15年越しに、母にその秘密を話した。
私の人生を大きく変える辛い経験だったけど、15年も経って、私の中では決着のついた問題だった。
それなのにわざわざそんなことを母に話すのは辛かった。怖かった。
母を傷つけることも、もしかしたらそれを知ることによって母の私を見る目が変わるかもしれないことも。
とても怖かったけど、それをネタにあの人の影に一生怯えて過ごす方がずっと嫌だった。
結果、母は私の言ったこと全てを受け入れてくれた。
謝って私を抱きしめて「気づいてあげられなくてごめん」「辛かったよね」「これからは辛い時は話してほしい。一緒に考えたい」「もう自分を責めたり傷つけることはしないでほしい」そう言って泣いた。
こんな風に受け入れてくれる人がいるなんて、なんて私は幸福なのだろうか。
実の親だろうが何だろうが、そう言ってもらえない人はきっとたくさんいる。
見放されることなんてなかった。責められることも嫌われることもなかった。
それがどれほど特別なことなのか、私は骨身に沁みてわかっている。
私は、夫に助けを求めた時、こうやって言ってもらいたかった。
私に悪いところがあっても、そこを含めて傷ついて苦しんでいる私を受け入れてもらいたかった。
でもあの人から言われたのは「そんな言い方じゃ伝わらない」「そもそもお前の勘違いだ」「常識的じゃないことを言っている」「前に言ってることと違う」「言葉の使い方が間違っている」「そういうこと職場でも言ってる奴いるけど、そういう奴は大抵見放されている」「俺が話してるんだから最後まで聞け。ごちゃごちゃ途中で言ってくると話が進まない」「人が質問してる時はその質問に答えろ。他のことはどうでもいい」「自分に都合の良いところだけ相槌を打つのが腹立つから止めろ」こんな言葉の数々だった。
あの人から見たらきっと全て正しい言葉なんだろう。あの人はきっと何も間違ったことは言ってない、自分は悪くないと思っている。
私は、あなたが正しいとか間違ってるとか、そんなことどうでも良かった。
ただ私を受け入れてもらいたかった。
でもあの人から言わせたら「そもそもお前が間違って一人で常識外れなことを言ってるだけなのに、そんなこと受け入れられるわけない」ってことだったんだろうな。
だからどうして私がそう思ったのか、どうして私がこう行動したのかとか、わかってもらいたくて必死に説明したのに。そんなことは意味なんかなかった。あの人の中で私がすべきことは「私が間違った部分を直すこと」しか無かった。だから私も頑張って頑張って心を壊すほど努力をしたけど、それでも無理です私には務まりませんと伝えた。
でもそれもあの人には届かない。
あの人と会話が通じることは決してないのだろう。
それでも母には通じた。母には受け入れてもらえた。
私にはそれだけでいい。もうそれだけで十分だ。
これで、もうあの人の脅しになんて屈しなくていい。
それ以外で私に後ろ暗いところなんてひとつも無いんだから大丈夫。
怖いけど、もう今までと違って一人で頑張るわけじゃない。
だから大丈夫。