生きにくい、生きるの向いてない、生きていたくないを打破する

とにかくつらい毎日だけど、生きなくちゃならないなら、生きやすい毎日にしたい。どん底から這い上がるため色々なことに挑戦していきます。

欅坂46「黒い羊」MV考察

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先日ついに「黒い羊」が発売され、YouTubeでもMVが公開されたので、

自分なりに考察してみる。

 

 

 

<前提>
・白い羊、黒い羊とは
「自らの真実を捨て白い羊のふりをする者よ 黒い羊を見つけ指を差して笑うのか?」とあるように、
 白い羊とは自らの真実、本当の自分の心を捨て周囲に合わせて行動する人
 黒い羊とは、そんな白い羊の中で、周りと違うことを非難され軋轢を生みながらも、本当の自分の心を持ち続け、それを隠すことなく行動する人

彼岸花の意味
 自分の本当の心、情熱、希望

・MVの世界観、表現していること
 監督のインタビューから、MVの内容は歌詞のその後という時系列。
 歌詞では「僕だけがいなくなればいいんだ」「僕は厄介者でしかない」「白い羊なんて僕は絶対になりたくないんだ」と黒い羊である自分への絶望や諦め、白い羊に対する反発が描かれている。
 しかしそこで終わるのではなく、その後をわざわざMVで表現したということは、絶望や反発のその先、つまり白い羊に立ち向かいぶつかり合い、様々な葛藤や苦しみの中でも歩き続けていくことが生きるということだと伝えたいのではないか?


<考察>
※監督やメンバーが公表している設定や解説などを参考にしているので、自分の解釈と公式の見解を区別するために、自分の解釈には語尾に「?」をつける

~0:20
前奏部分。飛び降り現場のそばでピアノを奏でる人、駆け寄る報道陣、どんどん群がる野次馬。それを遠目に見てから歩き始める平手。
基本的に白っぽい服を着ている人は白い羊と判断。この場面で登場する人は平手を除いて全て白い羊?
飛び降り現場に散っているのは血ではなく赤い彼岸花の花弁。このことから、これは実際の肉体の死というよりは「自分の本当の心、情熱」の死を意味する。(自分の心が死んだことで生きていけなくなり、実際に自殺をしてしまった…という風にも捉えられる)
ピアノでレクイエムを奏でることで心の死に対して勝手に装飾を施そうとする人。
一目散に飛びつき、自分勝手な憶測を真実かのように報道し拡散するマスメディア。
それを面白半分ではやし立てる多くの人たち。

~0:30
大人の男女に挟まれ机の上のものを床に散らかして去っていく尾関。
両親から勉強や進路のことで決めつけるようにものを言われ、それに反抗している?

~0:35
男性を殴り大きい缶のようなものを投げつけ怒鳴る冬優花。
貧乏な生い立ちで、彼氏に両親のことを馬鹿にされ激高する女性という設定。

~0:40
万引きをし、警備員か警察かに連行される佐藤。
その後ろでは白い羊がひそひそと佐藤の噂話をしている。

~0:50
薄暗く散らかった部屋で座り込んでテレビを見る鈴本。引きこもってしまっている?
書類を持ったスーツ姿の女性に詰め寄られ、それに耳をふさいで拒絶するオダナナ。
上司のような男性から責められ、一点を見つめ立ち尽くす守屋。男性のジェスチャーから「もっと頭使えねえのかお前は!」とか言われている?

~0:55
いじめられている女子高生の小林。後ろのロッカーには「Black Sheep」の文字。

~1:00
同僚などと上手くいかないOLの石森。貧しい家族のために働いているという設定。
貧乏ゆえに古着を着ているが、そんな姿がオシャレで洗練された周りの人たちから浮いてしまっている。

~1:05
携帯を見てうすら笑いを浮かべた後、絶望したようにふらふらと歩く小池。SNSで傷つくことを言われた女性という設定。
「自分が嫌い。もうつらい、死にたい」とか書き込んだら「誰もお前なんて好きじゃなーよさっさと死ね」とかコメントされたのではないかと妄想

~1:10
尊敬する父親が死に、悲しみに暮れる売れないデザイナーの菅井。
服や本人のコメントからも、この菅井は白い羊であると思われる。それ故黒い羊の平手を受け入れられず、抱きしめようとする平手を突き飛ばす。
自分が好きだと思うデザインではクライアントを満足させられず、仕事を得るためには自分の心を殺して周りが望むものを作らねばならない。そうやって心を売り渡してでもデザイナーとして売れて父親にその姿を見せたいと頑張ってきたのに、その父親が死んでしまい絶望している?

~1:30
佐藤にハグするが拒絶される。
その後小林の元へ走り、いじめている子たちを引きはがし小林を抱きしめる平手。最初は拒絶するが、彼岸花(本当の自分の心、情熱)に触れ、平手をそっと抱きしめ返す。これは平手という個人を受け入れたというわけじゃなく、自分の中の黒い羊を認め受け入れることが、ほんのわずかながら出来始めたという表現?

~1:35
バーのようなところで男性2人に絡まれる理佐を助けるが拒絶される平手。
誰かに愛してほしくて一人バーに行ったものの、愛してもいない男性に声をかけられてもやはり嫌悪の気持ちがあった。でもいざ助けられると「あと少しで愛してもらえたかもしれないのに!邪魔しないで!」と他人を恨む気持ちも生まれてしまい、そんな複雑な思いから平手を突き飛ばした?

~1:40
他の人たちと違い最初から平手を受け入れる石森。
周りから浮いていた石森は家族のために働かなくてはいけないから周囲との違いに苦しみもがいているが、そもそも自分の黒い羊の部分を大事に思い、それを受け入れて生きていきたいと思っている?

~1:45
手首をおさえバスタブの中で泣く小池を抱きしめる平手。
SNSの誹謗中傷で苦しみ自らの手首を切る?

~1:53
お互いに支え合いながら歩き始める土生、石森、守屋、理佐。
土生の隣のセーラー服の子は多分エキストラであると思われる。
白い羊との摩擦で苦しみ傷つきながら、そんな人たちで手を取り合い生きているという表現?
土生が男性的な服装をしている+セーラー服の子の肩を抱くことから、土生たち2人は女性同士のカップルでLGBTの苦悩を描いている可能性?

~1:58
階段から転げ落ちるスーツの男性。左側には階段の上段で偉そうにする人と、それに従うように並んだ会社員の人たち。階段を下りながら不採用通知を見て絶望するねる。
仕事場での上下関係、出世競争からの脱落、採用されないことから人格すら否定されているかのような悲しみ?ねるの疲れ切った顔から、不採用通知を受け取るのはこれが初めてではない?

~2:05
上から降ってくる赤い花弁。階段の右側で明後日を向く鈴本と長沢。
手すり部分に鎖やチューブで雁字搦めにされた赤ちゃんの人形。踊り場で赤ん坊を抱く女性。
鎖などで縛られた赤ちゃんの人形は、幼児期からの虐待など家族との在り方に問題があり、それに囚われたまま大人になったアダルトチルドレンの苦悩?
赤ちゃんを抱く女性の姿が影で真っ暗で、全然幸福そうに見えないことから、親自身も苦しんでいるという表現?
また階段のシーンで花弁が散っているのは、こういった残酷な世界の中で僕らの心は死に続けている、ということかも。

~2:10
手の中の青い鳥をそっと撫でる梨加。
青い鳥は自由の象徴。しかしこの鳥は全く動かない。飛べないのか死んでしまっているのか、どちらにしても自由にはなれないという諦め?

~2:15
右側の窓の外側がやけに明るく、そこにはどんちゃん騒ぎをする人たち、それを窓越しに眺める人たち。
窓の外が楽しげで明るいのは、黒い羊が自分を殺さずにいられる場所を獲得し、喜びではしゃぎまわっている様子?それを見て全く動こうとしないものの、目を離すことも出来ない白い羊?

~2:22
通路を挟んで言い争う人々。その横で無気力に壁に寄り掛かるだけの尾関とオダナナ。反対側の壁で争いを見ながら怯えて震えている上村。
尾関たち側の人たちは白い羊で反対側の黒い羊を非難している?尾関たちは白い羊側に立っているものの、黒い羊を糾弾する気にはなれない?
上村は黒い羊の側に立っているが、責められ争いになることを非常に恐れ、ただ震えて口を閉ざしている?

~2:33
平手の子供時代の誕生日の様子。両親に祝福され喜ぶ子供の平手。
そのすぐそばで傷つきながら去っていく女性、幸せな過去の写真のそばで立ち尽くす男女。
ただ生きて、ただ自分であり続けるだけで、無条件に肯定し祝福し愛してくれる存在がいるという幸せな過去。しかしそのすぐ近くで傷つき悲しんでいる人たちがいる、という絶望をより引き立たせるための幸福なシーンと思われる。

~2:40
大人たちに非難され苦しんで、ついには彼岸花を失ってしまう平手。
周りの大人に「お前はこうでなくちゃだめだ!そんなんじゃいけない!」と強制され、ファンの人たちにはイメージで好き勝手に言われ、アイドルとして情熱を失い何が自分かを見失ってしまったのかな…と平手の今までの気持ちをそれこそ勝手に想像して泣けた

~3:20
苦しみながらみんなに向かい合っていくも、拒否され突き飛ばされる平手。
走って行ってしまった石森を追いかけようとするが、小池・理佐・佐藤に止められてしまう。
その後全員が光に向かって駆け出す。転んだ小林を助け送り出し、ひとりになり絶望し苦しむ。
足元には大量の踏みしめられた赤い花弁。
最初受け入れる側だった石森がまず先に走り出すのは、仕事をしていく中で周りに迎合して生きていかねば立ちいかないことを思い知らされ、自分の中の黒い羊を捨てようと思い詰めているから?
みんなが走って行ったところに散らばった大量の花弁は、自分を殺して周りに合わせて生きていく中で踏みにじられ捨てられていったそれぞれの持つ本当の気持ちだろうか。

~3:40
子供時代の自分から彼岸花を受け取り、大事そうに胸に抱く。
子供の時は周りに合わせて自分を押し殺すなんて考えず、ただただ自分として生きていた。
その頃の気持ちを、本当の心を思い出し、平手の中に再び情熱が燃え上がる?

~3:55
屋上に出る前に何かを叫ぶ平手。
口の動き的には「僕だけでいい!」のように見える。
もし仮に「僕だけでいい!」だとしたら、これまでの流れから、決して後ろ向きな意味ではなく、「例えみんなと違うと否定されても僕は僕だ」という意味合い?
だとすると「僕で良い!」とか「僕は生きる!」の方がしっくりくる気もするが…

~4:20
屋上にいる人々がそれぞれ向かい合ったりぶつかりあったり抱き合ったりしている。
それまで平手を突き放していたメンバーも力強くぎゅっと抱きしめ合う。
みんな泣きそうな表情をしていて、このシーンは何度見ても泣いてしまう。

~4:30
サラリーマンの人に掴み投げられる平手を受け止め、抱きしめる白いシャツの女性。
彼女は平手が落としてしまった彼岸花を拾い上げ、平手を受け止め、強く抱きしめた後そのまま平手を押し出す
この女性は、2階で尾関達がいた場所で言い争いをしていた女性たちの一人ではないかと思う。
つまり白い羊として黒い羊を非難し糾弾する側に立っていた、言わば白い羊の代表格。
みんなと全力で向かい合いぶつかり合い、そして分かり合っていく平手を見て、白い羊の心が動き、思わず平手の心を救い上げ受け入れて抱きしめてしまったのではないか?
抱きしめ方も送り出し方も、包み込むような優しい感じには見えず、「あなたはあなたとして生きていくんでしょ?しっかりしなさい!」と激励しているように私は感じた。

~ラストまで
みんなが見る中で一人で転げまわりながら踊る平手。
みんなに訴えかけるような表情は、自分の好きに生きて良い、自分を受け入れて良い、みんなと一緒じゃなくてもいい、という感情の発露?
その後平手は一人で彼岸花を抱きしめたままうずくまる。
結局みんなは黒い羊を受け入れられないのか?心を捨てないと生きていけないのか?と思わせるような感じだが、その後ろでみんながゆっくりと平手の方へ歩いてくるのが見える。
足元にラインが引かれ、平手とみんなが分けられてしまっていたが、そのラインも踏み越えて歩き続けていく姿は、苦悩しながらも様々な生き方で、でも確かに前に進んでいくというメッセージ?
他の人よりも前の方を歩き、誰よりも先にラインを踏み越えてくるのが菅井であるというのがまた感動する(さすがにこれは考えすぎかもしれない)。

 

 

演者はそれぞれ導線と設定だけを教えられたらしいから、MV全体としての伏線とかはあまりないのかもしれない。

でもその分、演者一人ひとりが自分の中に落とし込んだ設定が複雑すぎて、それを全部受け取ることは出来ないし、見る人によって、見る状況によって、いくらでも姿を変えるとても素晴らしいMVだと思う。

黒い羊は絶対少数者であるはずなのに、欅のメンバー全員が黒い羊に共感したと言っているように、誰の中にも必ず黒い羊の部分が存在するんだと思う。

だから絶望しない人間はいないし、誰もがこの曲やMVの悲しみや絶望を理解できる。

その上で諦めず向かい合っていく姿があまりにも美しいからこんなにも感動するのだろう。

 

このMVをたくさんの人にも見てほしいなと思う。