生きにくい、生きるの向いてない、生きていたくないを打破する

とにかくつらい毎日だけど、生きなくちゃならないなら、生きやすい毎日にしたい。どん底から這い上がるため色々なことに挑戦していきます。

ひとと予定を立ててどこか行くのしんどい

一緒に行く人が大好きな人だとしても、どこか出かけようという話になって悪い気はまったくしなくても、

お出かけのプランを立てる、という段階に行くと大変しんどい。

 

どこ行くかとか何するかとか、出来たら相手に全部決めてもらいたい。

どこへ行って、何を食べて、どうやって行くのか。

全部決めてもらったら私は絶対そのプランに文句なんて言わないし、一緒に行く人がその人だったらどんな内容でも楽しく出来るし、何かしらトラブルがあったとしてもそこ込みでいい思い出に出来る自信がある。

 

私にとって「その人」と一緒の時間を過ごすことが意味のあることで、それがどんな場所でどんな感じに過ごす時間であっても関係ない。

極論「ゆっくり話せればそれでいい」ので、家だろうと、行列に並んでる時だろうと、移動する途中の乗り物の中だろうと関係ない。

だから効率良く移動する必要もそこまで感じないし、おなかは空かなければ、喉は乾かなきゃいいってくらいに思ってる。

 

そうやって生きてきて、そういうのを許してくれる人としか付き合ってこなかったつもりだったのに、大人になって結婚して働いたら、時間や金銭のしがらみがどんどん出てきて、考えなきゃいけないことがたくさん出来た。

今までは「とにかく楽しそうなこと」を考えて、相手と喋っているだけで予定は決まって、細部はまあ適当に流動的な感じでいいかって話になって、それで上手くいってたのに。

今では考えなきゃいけないことが楽しくないことばかりな上に、相手の都合も自分の都合も制約がどんどん出てきて、そんな中予定を考えるのは全然楽しくないし面倒なことばかりだし、一生懸命考えても上手く都合がつかなければその案は無駄にしかならない

と思うと考えようと思っても頭が働かない。

 

それでも、相手だって私と同じように、むしろ私よりもずっと仕事とかが大変で考えるのがしんどいのだから、私が考えなければならない。

楽しいはずのお出かけで「考えなきゃいけない」なんて嫌々な感情を抱く自分が嫌いだし、これまでずっと周りに甘えてきたんだなーと痛感する。

そして余計「頑張らなきゃならない」という義務感ばかりになって、結局しんどいしんどいばかりになる…

 

結局、自分のことばっかだなあって自己嫌悪して計画は先に進みません。

 

先日書いたように、心が不健康なうちは人を気遣うの無理って気づいて、なんだかだいぶ心が軽くなったように思えたから、「よし!そろそろ人を気遣えるんじゃね?色々考えなくては」と思って少し考えただけでこの有り様です。

 

心の健康の問題じゃなくて、単純に性格悪いからダメなんだ…と、こういう時また自分を責めて、ますます苦しくなるからやめたいです。